まひるのそら

ノートの端っこみたいな感じ。

神戸在住の終わり。

 神戸在住が最終巻を迎えました。
 わたしは単行本で読んでいたので、最終話を読んだのは人よりちょっと遅かったかも。
 神戸在住という本と出合ったのは、わたしが大学生の頃だったと思います。
 多くの本の中で、三巻ほど平積みで並んでいるのを見たとき、何か気になって見つめた記憶があります。でも手をとることはなかったのですが。
 それからしばらくして、本屋に行き、やはり気になったので、本を手に取り表紙をしばらく眺めていました。わたしは、自分の好きなものというのが直感でわかるタイプです。第一印象ですべてを決める、決まるわけではないのだけれど、本当に好きなものというのは、最初の直感で決まることが多いです。
 神戸在住はやはり気になり、三冊買いました。
 大学生の頃というと、小説家という夢を見ながらも、現実的に勉強と進学と格闘技に向かい合っているときで、とにかく時間だけは持っていました。
 神戸在住を読んでみて、ああ、よかったなあ、と思いました。
 そこでデジャブかもしもしれないし、記憶違いかもしれないけれど、阪神大震災があって、しばらくしてから、それを題材とした漫画と作者を紹介するテレビを見たような記憶がよみがえりました。そのテレビを見たときは、ああ、そんな痛い物語をお話にするのか、と否定的に思ったものですが、本作を読んでみて、そのやさしさと紳士な語り口に、とても新鮮な思いを抱いたのです。それと同時に、主人公を取り巻く人間関係に憧れを抱きました。
 当時といえば、わたしは偏屈に閉じこもっていて、偏っていて、自分を持つことに頑なで、世間を斜に見ていました。簡単に言うと、とても自己中心的ですべて他人事として関わらないでいた人間だったのです。
 そんな人間だったので、本作で、主人公が真剣に、どこまでも謙虚に阪神大震災とその当事者たちと関わっているのを見て、えらく感動したものでした。多分、それはわたしにはそんな生き方、接し方はできない、感じ方はできない、と思わされたからでしょう。
 わたしのこれまでの生き方や、そうならざるを得ない環境を今は語りませんが、なるべくしてなったという気持ちもあり、わたしは作者とは友達になれないと思えてしまうのがとても残念でなりません。どこかで知り合ったとしても、何かを一緒にしたとしても、多分友達にはなれないでしょう。人間として根本的に違っているのです。作品を通して、その違いが明確に見えてしまったとき、わたしはより一層、作者に憧れを感じ、好きになりました。
 それからわたしが好きな漫画、というと、ヨコハマ買出し紀行か神戸在住と答えるくらいに好きになり、今日、最終巻を向かえ、なんというのか、作家としていい終わり方だなあ、と思うのとともに、神戸在住の主人公にはもう会えないのか、と残念に思う気持ちでいっぱいです。
 作者・木村紺は、巨娘という新しい漫画を描いています。それも好きですが、わたしは神戸在住がやはり一番だと思ってしまうのです。この話が実話か、それともフィクション込みの物語かはわかりません。けれど、やさしいイラストと物語が、現実の世界であったものだとしたら、この世界は幾分救われるんじゃないかと思うのです。こんな主人公が現実に存在するのだとしたら、それがたとえ、漫画上のきれいな部分だけを描いたものなのだとしても、人を好きになれるんじゃないかと思えて、わたしの心は穏やかになります。
 話は少しそれて、わたしのことを、少し話させていただきます。
 わたしは、中学生の頃に人を好きになるのを辞めました。恋愛は中学生の頃が最後です。それ以来、人を好きになったことはありません。同性の人も、異性の人も、好きになったことはありません。心がそういった感情で揺らぐこともありません。誰かに想いを馳せることもありません。それは今でも同じです。
 だから、誰かが死んだ、とか、人が不幸になったとか、両親が重い病気にかかったといったときも、悲しいとか、辛いとか思いませんでした。
 わたしはとても身勝手なことながら、面倒なことにならなければいいな、とだけ思っていました。わたしは、とても自己中心的な人間で、ともすれば他人とは違う世界に住んでいるといった感覚を持つくらいに、他人と自分とをかけ離れたものとして考えています。そのせいか、何かあっても、それは自分に関わることじゃないと、たとえ、誰かに好きになられても、見当違いもいいところだ、と思い、すべてを無視してしまいます。
 拒絶も嫌悪もありません。ただ、何も無いのと同じなのです。
 心が凍ってしまってからというもの、現実の問題で感動して泣いたことはありません。人の機微に鈍く、自分のことで理不尽なことがあれば、それは悲しいですが、ひとたび自分のことではなくなると、何にも感じなくなるのです。鬱になり、安定剤を飲むようになってから、その色はますます濃くなりました。
 そのせいか、わたしの書く物語の人間たちは、とても人を愛します。人を憎みます。けれど、人間性が出るのか、そこにあるのは、無機質でステレオタイプのやりとりで、本当のやさしさみたいなものがまったくありません。
 だからこそか、神戸在住に描かれた優しさに、激しく動揺してしまうのです。動揺は感動になり、好きになるのです。わたしもこういう風に書けたらいいなあと思うときもあります。
 恋愛物語もそう。わたしも恋愛がしたい、本気で人を好きになりたい、と思います。
 今現実に乾いた人生を送っていて、わたしは本当に人が恋しくなります。けれど、同時に、人と関わるのが面倒でしかたありません。
 自分を省みずに人を想う気持ちが恋や友情だというのなら、憧れはすれど、わたしには無理だと思います。
 だから、せめて小説の中では、夢のような世界を描いていたいと思うのです。
 人はわたしが思っている以上に醜悪な生き物かもしれません。
 逆に、わたしが思っている以上に、美しい生き物かもしれません。
 わたしは、わたしを人間に関心のない人間だと思っています。
 そんなわたしですが、神戸在住の物語に出てくる人間たちはとても美しく思えます。もし出会えるのならば、それはとてもうれしいことだろうと思います。
 漫画を通して間接的に出会っていたのだけれど、それができなくなるのはとても残念に思えます。神戸在住の人間たちがその後どうなったのか、とても見たいです。でも、もし、神戸在住の人間たちが本当に実在する存在で、この世界で生きている人なのだとしたら、わたしはこの世界をもう少し好きになれるんじゃないかと思っています。
 神戸在住、今までありがとう。
 そして、お疲れ様でした。
 また会う日まで。

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