数々のアニメがエンディングを迎える中で、スクールデイズもエンディングを迎えました。地上波放送中止というアクシンデントもあり、ある意味別の盛り上がりを見せたスクールデイズ。
ラストを今朝見ました。
わたしはヤンデレというものを書いてみようと思い考えていたのですが、諦めようとも思いました。
スクールデイズのゲーム版のエンディングは知っていて、このレベルなら超えられるものが書けるなあと思っていたのですが、アニメ版を見て、ああ無理、と思いなおしました。
いやー、だって、あの主人公的バッドエンドを、アニメ的にハッピーエンドに変えてしまうヤンデレ脳。ゲームだと主人公が死んでしまった時点で終わってしまうけど、三人称表現のアニメでは主人公が死んでから始まるエピソード。言葉の愛し方、愛の価値観、それに対する世界の愛し方、愛の価値観。
ヤンデレというのは、偶像崇拝に近いのかなあ、とか考えました。自己の中の相手のイメージを愛するという形。だからイメージを象徴化するものを愛するけど、別に死んでても相手は相手だという感じ。
世界は逆に客観的存在としての相手を愛していたから愛が憎しみに変わり殺人にいたったのかなあ、とか。だから言葉は裏切られてもいつまでも相手を信じて恋敵を殺すことしか考えてなかったというか。
この二人の恋愛観の違いというのがよく描かれているように思えて、かつスマートでわかりやすく、バッドエンドをハッピーエンドにしてしまう技といい、スクールデイズアニメ版はかなりすごいと思ったのでした。
ヤンデレの応用というのは、こういうやり方をするのか、と感心しました。とても楽しかったです。思い出深い作品となりました。
ライトノベル的にはマガジン掲載していた涼風が思い浮かびます。子供ができてしまい、陸上選手が選手生命を捨ててまで子供のために生きようとして、結婚する話です。ハーレムチックではありますが、一途できちんと初心の通り結婚しました。ハーレムもてもてでも一線を越えることはなく、関係を持ったのも結婚した相手とだけ、という純恋愛もの。
また、ロミオ&ジュリエットのリメイクアニメ。
世界を救うために命をかけるジュリエットと、二人の愛のためにそれを止めようとするロミオ。これのラストもどうなるのか気になりますが、今、エンディングを迎えました。ロミオがジュリエットを守るために死に、ジュリエットが追うように世界を救うために命を捧げるというものでした。結局、ジュリエットが世界のために命を捧げるという結末には変わりありませんでしたが、その過程で二人の愛が見れたので、うーむ、なるほど、と思いました。
わたしも恋愛を扱う作品をいくつか書いていますが、昼どら風のスクールデイズといい、ライトノベル的な涼風、ロミオ&ジュリエットといい、愛憎劇は様々だなあ、と思いました。
ライトノベルはもう書き尽くされていて、閉塞感が漂いつつあるなあ、とも思うのですが、まだまだ可能性はあるのだなあとつくづく思いました。
うーん、わたしもがんばらないとなあ、と思います。
よーし、がんばるぞうー。
だけどヤンデレについてはもう書けないかなあ、と思います。スクールデイズはいい作品でした。これはいい作品や……。細かい間の取り方や描写にも文句なしです。多少ネタばれ、路線ばれの演出はありますが、展開の予測効果と裏切り効果を考えれば、これはこれでよかったのだな、と思います。うーむ、こういう猟奇的病的な作品が受け入れられるようになった世界というのも問題ありそうですが、きちんと現実と区分けして考えてくれる世間に期待します。それでも影響は出るんだろうなあ……この数年後とかに……。そうしたらきっと犯人はこういうアニメを好んでいたとかで、またピックアップされたりするんだ、ニュースで。それで規制強化されたりするんだろうなあ。そしてまた表現の自由を盾に規制緩和を図る人が現れ……いたちごっこに。
とりあえずまあ、いくつかの作品を見て思ったことは、潤いがあっていいな! ということでした。愛されてていいなあ、愛せていいなあ、ということでした!
干物オチということで、今日はさらば!







