まひるのそら〜ラミルカ奮闘編〜

ノートの端っこみたいな感じ。今日からPSU日記に!

いや、ていうか無理。

 今日初めてディーロレイミッションをやったのですが……。
 ルウとライアを連れていって、一緒に死亡すること8回。
 いやー……。ボスに二回殺されたのはまあ、いいとして、あの、ボルガとメラ、強すぎですよ……。
 レベル65のフォルテクターでAランクミッションを受けたのですが、なんかもう辛すぎ。属性狙ってもたいした効果ないし、しぶといし、遠距離攻撃ばんばんくるし……。
 ディーロレイには600(殻をやぶって1300とか2000)をちまちま与えるけれど、すぐ逃げちゃうし、しぶとい……。
 そもそも、今日パチンコ屋に遊びに行こうとして、お金もったいないからPSUのギャンブルやろうと思ったのがきっかけですが、いやー、スロット当たらないよ? ていうか、PSUのスロットは何号機仕様なのかしら? なんとなく五号機みたいだけど、画面演出ついてればよかったのになあー。
 とりあえず、フォルテクターはもうこりごりなので、ファイガンナーの子を育てようと思いました……。
 ふうー、やれやれ。

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悶々とする日。

 夢を見ました。
 中学生時代の夢です。
 あの頃のわたしというのは、生きることに精一杯でした。
 というのも、兄が姪となる赤子を連れて離婚して帰ってきた後で、それで相手先の家と実家との争いや、子育てに追われていたからです。わたしは一人っ子のように育ったものの、小学高等で赤子のおしめを換えたり、お風呂に入れたり、家事をやるようになりました。
 母の実家というのは、神主の家柄であって、そのせいか霊感があったり、ヒステリックなほどに神経質なところがあって、兄はそのヒステリックなところと神経の脆弱なところ、その代償として暴れるということを繰り返していました。兄は体格がよく、ジェロム・レ・バンナによく似た人で、暴れると手が付けられませんでした。家の壁はそこら中が穴だらけで、綺麗なところなど残ってはいませんでした。
 父というのは武士の血族で、落ち延びてから、江戸時代は苗字を隠し、農家を続けていたという家系で、伝統ある家の人で、とても寡黙な人でした。兄のことを愚か者と切って捨て、愛情というものを注ぐことはありませんでした。それでますます兄というのは、愛情に飢え、かつ自信を持てることができなくなり、ヒステリックに暴れる性格になっていきました。
 わたしの小学生以降の記憶では一家団欒などほとんどなく、常に誰かがヒステリーを起こしていたり、夫婦ケンカをしたり、離婚、結婚を繰り返す、という風景ばかりでした。
 兄は借金を重ね、父は黙ったままで、母がヒステリーを起こし、それにキレた兄が暴れるという、連鎖でした。
 わたしといえば、精神的に追い詰められ、性格がねじまがり、そのセイで学校での生活もまともに送れず、集団生活の中で不一致を繰り返すことになりました。そして友達も減っていき、最後は毎日逃げるように本屋に通い、読書をするのが生きがいという子供になっていきました。
 両親が不仲、という程度のことですが、子供にとって過程が歪んでいたり、崩れているということは、心のよりどころとなるものがないも同じで、かといって子供の友人の中に、同じ境遇の者など、その時代にはおらず、いつも心が不安定で怯えながら生きていました。
 その間に、「自分がもう一人いる」という感覚を抱くようになりました。「ああ、あの不幸そうな心は別の人なんだ」と思うことで、安定を図ろうとしたのです。
 そういう習慣が日常になってからというもの、友人は相変わらずできず、浮いた存在でしたが、生徒として模範的な人格を得るようになりました。「いい子」の素振りをすることが、皮肉にも得意になっていたのです。それもそのはず、反抗心も抵抗心も、不条理に憤る心も、すべて「別の人」の心なのですから、わたしは言うことを守る「正しい子」に簡単になることができたのです。しかしながら、心から理解しあえる、様々なものを共感しあえる友達はついに一人もできることはありませんでした。
 そんな中の出来事を夢に見ました。
 ある日、多少は話をする程度のクラスメートから、電話があったのです。声は不機嫌そうで「クラスで集まるから着てくれ」そう言われて、わたしは連絡網を見ました。連絡網の順番で電話が掛かってきたのではなかったのです。クラスで集まるなら連絡網を使うはず。さらに電話で「○○君とかが着てるから」と言われました。わたしはというと、その○○君と話すらしたことがなく、なぜ、そこにわたしが呼ばれるのか、さっぱりわかりませんでした。わたしはクラスの男子に嫌われていて、わたしの髪の毛が落ちているというだけで気色悪がられていたのです。
 それでもわたしは、荒れた家にいることができないため、ついでだと思って自転車でその集合場所に向かいました。
 しかし、いざ店に入ろうと思っても、なぜわたしが呼ばれるのか、○○君の名前がでるのか、そして不機嫌そうにしていたのはなぜか、わからず、結局、わたしは裏切られたりだまされたり、みんなの見世物にされたり、ましてや、義理や面目のために、情けで誘われてのこのこ出て行くなんてことができない意地っ張りで、店に入ることはしませんでした。
 後日、進級に伴うクラスのお別れパーティでも、わたしに、○○君は気を使ってくれたのが思い出深く、パーティの終わりの後の夜中のバスケ大会にも参加しなかったわたしに、わざわざ電話をかけてくれた○○君の誘いも断り、結局は中学時代に何も起こることはありませんでした。
 中学三年生になったとき、○○君がわたしの学校の旅行のときの写真を持っていることが、一部で噂になり、「××、お前意外にモテるのな」と、嫌いなクラスメートに言われたことを、今でもはっきりと思い出せます。
 それから修学旅行になり、やはり嫌いなクラスメートが写真を頼まれたと、わたしの写真を取りにきていたのも、珍しい出来事でした。
 その頃というのは、本当に精神的に孤立していて、憧れの◇◇君が同じ班になり、優しくしてくれたことに戸惑っていた頃で、それでも、誰かがわたしに好意を抱くなんてありえない、と信じて疑わず、わたしは誰からも愛されることはなく、愛することもしないと、信念のように抱いている程で、そのあたりは、今思うと、両親が愛し合っていないことから、愛というものの存在に否定的で、刹那的な感情の一切を拒絶していたからだと、思います。
 そんなわたしが高校に入学したある日、○○君と同じクラスになり、一緒に学校に通おうということを言われました。わたしは、同じ学校の人同士で通おうとするだけなのだろうと思いました。
 その頃の他人というのは、とても頼りなく、遠く離れた学校への道筋も定かではないという有様だったので、利用されるのだろうと信じて疑いませんでした。
 しかし、○○君は、学校帰りもわたしを待っていたりして、二人きりで帰るようになったのです。
 それでもわたしは、わたしが好かれているなどという想いは抱かず、ただ裏切られたり、失望されたりすることが怖くて、あくまで他人として接していました。何の期待もしなければ、何をされても平気だから。
 だから、○○君がクラスの数人にいじめられているときにも、わたしは無視しました。
 そうしてそれから、二人は行動を共にすることがなくなりました。
 進級してから聞いた話だと、○○君は、わたしのことが好きだったということらしいのです。○○君というのは中学時代、多少浮いた存在で、靴を隠されたりしたことが何度かあり、たまたまわたしが、一人でその靴探しに協力したことがあって、それから好意を抱いてくれていたそうなのです。
 わたしは、◇◇君の、何気ない気遣いに心を揺られながらも、○○君からの好意の存在を否定し、好意というものの存在を否定し続けていたのです。
 あのとき、クラスで集まるという話に乗っていたら、その先に何が待っていたのだろう、と夢の中で思いました。もしかしたら、○○君からの告白があったのかもしれません。もし、そうであったなら、わたしは○○君に、幾分かは優しく接し、愛情の存在をもっと早くから実感し、愛に生きた学校生活を送ることができたのかもしれません。
 しかし、わたしは好意を否定し、その結果、好意をすべて失い、そして、結局、大学生になっても、好意が向けられたことにすら気づかず、人を傷つけてばかりいるような人間になってしまいました。
 わたしは、例えば、誰かの家に行き、自分の料理を振舞っても、親御さんから料理を頂き、部屋で二人きりになっても、そこに好意があるとは思えない人間になりました。そしていつも、後になって、もしかしたらわたしは好意をもたれていたのか? ……と考える習慣ができてしまいました。
 先日、大学時代によく懐いてくれていた、後輩の子が、結婚しました。その前日、わたしへの電話があり、わたしはそれに出ることをしませんでした。そして、結婚後に、わたしと話したがっていたということを、知人から聞かされるという有様で、やはり、もしわたしが電話に出て、わたしが何らかの好意を見せたのなら、示せたのなら、わたしの人生は変わっていたのかもしれないのです。わたしと後輩の子は、二人きりで食事に行き、ドライブをし、二人きりでお互いの部屋で過ごす間柄だったのです。にも関わらず、わたしは好意や愛情の存在を否定し、ただの他人として付き合っているという気持ちを変えることはありませんでした。
 ちょっと考えれば、わたしというのは、なんとも酷い人間だと、思うのです。自分勝手に好意という客観物を否定し、相手の心を踏みにじってきました。相手の人達が、好意を示してくれていたのなら、わたしはなんということをしてしまったのだろうと、思うのです。
 一緒に登下校したこと、何かにつけてかまわれたこと、ある日の帰り道、後ろから抱きしめられたこと。
 わたしが「言葉」しか信じなかったせいで、露骨なまでの「言葉の表現」でしか物事を理解できなかったせいで、○○君や、後輩の子、そして他の何人かの人達の想いをすべて無にしてしまいました。
 もし逆の立場であったなら……。
 わたしは、例えば手を握るだけのことだとしても、ものすごい勇気がいったと思います。
 わたしは、愛情を求めていたくせに、愛情を向けられ得ることを信じず、その結果、今になっても愛されない、愛情に気づけない人間になってしまいました。
 あのとき、店のドアを開けていたのなら――。
 もし、クラスの集まりというのが嘘で、わたしを呼ぶための口実だったのなら――。
 わたしの人生は大きく違っていたのでしょう。
 しかし、渇望と無視、拒絶の人生を送ってきた今では、もはや、愛情を得ようとも思いません。愛されたいとは思います。けれど、自分を客観的に見て、愛するに値しない人間だと、わたしには思えるのです。
 しかし、わたしは、自分の書く小説の中で、常に愛を描いています。本当は、愛情というものに憧れ、その存在を誰よりも強く感じたいのです。しかし、動揺に同じくらいの強度で、愛情を信じない、気づかないわたしが存在するのです。
 わたしに書く小説では、愛がテーマになっています。しかし、どこかが欠落した愛情で、ディティールは荒く、とてもまともな人間ではありません。そのくせ、愛を求めている人間ばかりです。
 もし、わたしの家が家庭崩壊していなければ、心にある敏感さというものは、愛に向かって働いたのでしょう。もし、あの日、あの店に入っていたのなら、もし、○○君に「言葉」で好意を示されたのなら、わたしは、わたしに自信を持ち、素直に愛を求めたのでしょう。
 けれども、わたしは、結果、ラブレターでさえ、いたずらだと信じて疑わなず、破り捨てるような人間になってしまいました。うわべだけで人と付き合い、心から理解しあうことができない人間になってしまいました。結局、わたしは、兄同様に、愛を信じられない人間になってしまったのです。愛を求めているくせに。
 わたしの育てた姪も愛情を信じず、とてもドライな子になってしまったのは、不幸の連鎖なのかもしれません。
 愛に生き、愛に死ぬような女になりたかったと、強く思います。
 しかし、わたしは、愛されることに慣れておらず、愛することを知りません。そして何より、人の心を理解することができません。
 夢の中で、あの店のドアが浮かび上がってきます。ドアを開けていれば――。そう思って夢から覚めました。
 たったドア一枚で、わたしは理想とする人生から拒絶されてしまったのです。わたしの愛情に対する心の揺れも、中学生時代に停止してしまいました。だからか、わたしが愛を思い浮かべるとき、いつも、あのドアが想い返されるのです。○○君や、◇◇君の変わらぬ顔が思い出されるのです。
 そして今、神経を患い、愛を描く小説に苦悩している生活を送っています。
 すべて運命なのかもしれません。こうして、こうやって、夢の話を書き綴ることも、運命なのかもしれません。
 この夢はいつかは覚めるのでしょうか。
 この運命が変わる日が、くるのでしょうか。
 そしてわたしは本当の恋愛小説家になれるのでしょうか。
 数日後、わたしは、結婚した後輩の子と会います。わたしにはなんと言ったらいいのか、わかりません。わたしは、遅いことながら、その後輩の子を好きであったと思うのです。
「結婚おめでとう」――?
「わたしも貴方のことが好きでした」――?
 それとも
「別れて欲しい、わたしと結婚してください、愛しています」――?
 いや――。
 わたしには愛も好意もわからない。
 語ることはできない。ただ物語の中で、愛を求める様を描くだけ……。
 愛しあってる人同士のキスというものが、どれほど幸福なのか。
 相手を疑わない心を持てることは、どれほど幸福なのか。
 わたしには、皆目、見当もつきません。
 どうか、皆さんは、今ある愛を感じ取れるなら、それを信じてください。愛されることを実感できる幸せを、信じてください。
 世の中には、愛を感じることすらできない人間がいるのです。
 それは、愛を与えられないのと同義かもしれません。
 どうか、皆さんは、愛のある人生を送ってください。
 失ってからでは遅いのです。早くに気づいて、大事に育ててください。
 孤独な恋愛小説家からの、お願いです。
 どうか、どうかお幸せに――。 

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