まひるのそら

ノートの端っこみたいな感じ。

小説がお仕事。

 いや、「アニメがお仕事!」を読んだのですが、なんとも心が苦しくなるばかりです。井戸の底の真っ暗な中にいて、見上げると小さい光がぽつん、とある感じ? そんな感じが小説を書いている心境に似ていると思う。
 わたしは商業小説(家といえるほど稼いでない)をやってるけど、確定申告も、それなりにまあ、届けだしてるけど、小説家を目指している人間である、という言葉の方が適正ってくらいの状況な訳です。それでもまあ、小説を書くとお金がもらえる。文章を書くとお金がもらえる。という立場にあるわけです。ネタを出してももらえるときもあるけど。
 アニメがお仕事を読んでいつも思うのは、いつも楽しんだり、ときにはただ見てるだけっていう作品の一つ一つについても、何人もの人間がすんげー苦労して、すんげー悩んで、すんげー追い込まれて、それでやってるんだってこと。
 小説を書いていて、それが仕事だろうと新人賞投稿作品だろうと、書いてるときは、楽しいのだけど、それはまだわたしが下っ端だからであって、勢いだけでなんとかなるところも少しあるからってだけで、奥に奥に、もっと良いものを、ってなりだすと、本当にきりがないと思う。そこでどれだけ奥底に向かい合ってられるかが、多分、根性というかプロ意識なんだろうなあ、と思いつつ、わたしはえいやっと飛び込んですぐ撤退しちゃうからきっとプロ根性がないのだと思う。それは多分、本当に追い込まれてはいないからだろうなあ。
 小説と向き合うとき、今はもう枯れちゃったけども、こう、胸の中にたぎるものがあって、それをパソコンに叩きつけると、作品になってる。こんなの半端者だから、それにもしかしたらちょっとだけ何かしらな才能があるから、なんとかお金もらえてるのだろうけど、だけど半端だから、プロと対等に向き合ってられない。
 時にはプロよりも面白いというものが考えられるときがあるし、プロと同じレベルの発想とか文章を書いてしまうときもある。だけど、それで毎日食っていくことができるレベルか? ちゅーたら、全然足りないわけなのです。
 アニメがお仕事では、イチノちゃんが毎回すごい追い込まれてるけど、すごい生真面目だなあ、って思う。あるいは繊細、感性が豊か、とでもいうのでしょうか。年齢にするとわたしよりもずっと年下で、イチノちゃんの年齢のときには、わたしなんてただの大学生でした。わたしはもう、出版でデビューしてたらライトノベル作家としてなら中堅程度の年齢に達しています。でもまだデビューできてない。小さい……小さくはないかもだけど、もらってる仕事はとっても小さい。仕事の割りにはとてもお金もらえるけどね。でも、なんだかだめな気がする。
 わたしの中に、「投稿小説を書くぞ!」っていうスイッチと、「仕事原稿を書くぞ!」っていうスイッチがあって、投稿小説を書くときは、魂を燃やして、命を削って書いてる。だからこそ、書き終わったあと、批判されるのが怖くて、友達に見てもらうのも怖くて、梗概(本文に添付するあらすじみたいなものも書いて提出するのが通例)くらいしか見てもらわないのだけど、自分の文章は、正直好きだ。他人にしてみたらすごい読みづらいだろうし、内容も飛躍してたりするだろうし、とてもロジカルとはいえない。でも、わたしは自分の文章を読んでいて、落ち着く。多少怖くはあるけど、これでいいんだ、って思うくらいの駄目な強さというのが身についてしまっていて、それで駄目といわれたら直すだけの気概くらいは手に入れた。
 小説を書いてて一番情けなくて、自分が哀れに思えてしまうのは、「見てもらえない」ことではなく、「適当に見て、適当に褒められる」ことだ。
 ちゃんと見て、ちゃんと駄目なとことか、嫌なとことか、あるなら言ってよって思う。もちろん、そういうことって、とっても手間がかかることだとは知ってる。でもだからこそ、どんなに批判されても、「ちゃんと見てもらえてる」って思える。そりゃ、怖いけど。駄目な自分と向き合うのは、今になっても駄目である自分を認めるのは、とても辛いけど、だけど、適当に見て、すごいねー、って言い合うだけの馴れ合いなんてゴメンだ。そんなの遊びでやってお友達同士で見せ合うよりも稚拙で残酷だ。こちとら金もらってるんだ。ちっぽけだけどプライドだってある。そりゃ、それなりに思想もあるし、意思もあるから、批判されて、反論もするけど、だけど、それすら許されない適当な見過ごしっていうのが一番辛いことなんだ。
 だから、ちゃんと見て欲しい。駄目なところは直すし、ちゃんと考え直すし、今からでもゼロからやり直すくらいの気持ち抱えて、人生ぶつけてやってるんだ。
 だから、がんばれ自分、自分の書いてしまったものと正面きって向き合え。それがどんなものだとしても、それが自分の今の姿なのだ。言い訳しても言い逃れしても、そんなのはますます自分を惨めにするだけなのだ。だから正面から向き合って、頭使ってきちんと書け。それから書いたものをじっくり見て、書き直せ。駄目なところは書き直すんだ。やり直しがきく、それが素人のいいところじゃないか。プロになったら駄目なところは駄目と言われるんだ。だから今ぐらいは自分で何度もやり直してみせろ。
 
 ……というわけで、自分に叱咤激励してみる。
 プロでやってる仕事の方はねー……誤字脱字誤植誤用程度ならダメダシもらえるんだけど、本筋の作品的な直しってもらえないのよね……。そりゃ、最低ライン以上いってなきゃお金はもらえないから、多少は見れる作品だろうと思うし、アンケートもくるし、多分、ついてきてくれる読者様もいる。
 でもでも、じゃあ、いざ新人賞となると、どうしても勝てない。勝ち負けじゃないような範囲の戦いだけど、だけど、作品の優劣はつけられてしまう。いや、つけてもらえるレベルまで引き上げなきゃだめなんだ。
 じゃあ、この作品はどうだ。
 この作品を今月提出して平気か?
 満足しているか?
 まだできることはないか?
 もっとよくできるアイデアが生まれるんじゃないか?
 どこかで妥協してるんじゃないか?
 言い訳してないか?
 自分の限界を自分で規定しちゃってないか?
 もっとよく見ろ、見逃してる点があるんじゃないか?
 もっと、もっと。
 
 わたしはこんなところで終われない。
 こんなところで終わって、それで「いい人生でした」なんて、言うわけにはいかない。もっとぼろぼろになるまで作品書いて、自分の頂上なんて想像できないくらいまで突っ走って、それで死ぬのだ。そうしたらもっとできたはず、って悔しがるだろうけど、命がもっと欲しいって思うだろうけど、でも、多分、にやって笑って死ねるだろう。
 だからがんばれ自分!
 もっともっとがんばれ!
 泣いてもがいてあがいてくじけて落ち込んで、それでも這ってでも進め。
 これがわたしの望んだ人生だろう、もっともっとがんばるのだ。
 誰かに喜んでもらうために、もっと自分で納得するために。
 いやいや、そんなのは建前だ、自分が幸せになるために、がんばれ。 もっとできることがあるはずだ、できないのは見てないからだ。
 何か、何か。見えないなら見えるようにしろ、直しが利くうちになんとかしろ、もっと自分を追い込め、もっと自分の能力を疑え、才能を信じろ、努力を信じろ、そんでもって作品を疑え。

 ……と、そんなこんなで、今日も今日とて邁進してます。
 ただの作品に、作者は人生ぶつけて生きてます。生きてると思います。
 いい作品が書けた。
 ――じゃあ次は書けるのか? 
 ――もしかしたらもう書けないかもしれない。
 そんな不安をいつも抱えて書いてます。
 
 とあるギャグ作家がいました。
 能力に埋もれた才能を見出されデビューしました。
 本が売れました。
 でも自分が本当にこれでいいのかと悩みに悩んで海に行きました。
 海を見ながら人生を考えたそうです。

 とある作家がいました。
 自分の最高作はいつも次に作る作品だといいました。
 社会現象を起こしてなお、次に作る作品の方がいい、と言います。

 それじゃあ、わたしはどうなんだ。
 下手な文章、稚拙な構成、ありきたりな発想。
 何か武器を。
 もってるものをうまく使って生きてかなきゃいけない。
 いやいや、もっと磨いていかなきゃいけない。
 何かを得ても何かを失うこともあるだろう。
 もしかしたら今の自分が最高点で、これ以上は落ちていくだけかもしれない。
 でも、もしも、の可能性のために、進むのをやめるわけにはいかない。
 もっと高みへ、もっと輝かしい未来へ。満足するな自分。
 
 ――というわけで、わたしがわたしでいられる理由、それはわたしの人生というものを生きるということなのだけど、今、かなりだらけてきている。社会的な理由だったり、経済的理由だったり、家族的理由だったり、身体的な理由だったり。
 でも、そんなのは言い訳にしかならないのだ。不幸自慢をしていても何にもならない。
 課題は一つ。
 よりよい作品を作ること。
 自分がどれだけ薄汚れたとしても、いい作品が作れればそれでいい。 そういう気合を思い出せ。もう一度初心に帰ることを恐れるな。どうせろくなものは手にしてないんだ。恐れず進め。
 
 ……というわけで、がんばります。
 こうやって殴り書いてて気合が入りました。
 よし、がんばろう。
 まだまだいける。
 人のせいにするな、すべては自分の出した結果だ。
 いい結果出すまで、がんがん行こう。 

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時をかける少女はがんばろうと思えます。

時をかける少女(二代目)
 忘れてた!
「TOKIKAKE」こと、「時をかける少女」(二代目)です。
 原作は筒井康隆様の小説で、小説から入るとなお良いのですが、二代目からだと入りやすいです。泣けます。泣きました。ぼろぼろ泣きました。映画館で。三回くらい行きました。行く度にがんばろう、あたしゃがんばるよ、って思いました。
 ――待ってて、未来に向かって走っていくから。

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続いて村山由佳様〜

村山由佳様の作品はこちら
 はい、次は憧れる女流作家・村山由佳様の作品「おいしいコーヒーの入れ方」シリーズです。
 これは第一作で「キスまでの距離」。
 村山由佳様なら「天使の卵」をまず宣伝すべきかとも思ったのですが、ライトノベルとして見るなら(見ていいのかな……)、やっぱり「おいコー」でしょう、と思いました。
 生徒の少年と大人だけどどこか少女な先生の恋物語。
 純粋です、ぴゅあぴゅあです。ただのキスや手を繋ぐっていうだけのことがどえりゃーどきどきさせられるって、いい歳になってるわたしが、なんか少女にさせられる本です。いや、主人公は男ですが。でも女性作家でここまで少年を書けるなんていいなあ、すごいなあ、って思う。物語は一人称ですので、とても読みやすいです。
 村上春樹様と続けて出したのは、わたしの二大憧れ作家が、男性だと村上春樹、女性だと村山由佳だからです。
 村の一字を賜れるようにと日々精進しています。いつか……いつの日かー。あたいもこんな本が書けるようになりたいっ!
 というわけで、今日はアフィリエイト開設なので、目に付いたというかとりあえずこれだけは、というものを紹介しました。ただの紹介ブログになるのもどうかと思うのでほどほどにしますが、もーっとおじゃまじょ……もとい、もーっと、紹介したい本は山ほどある! 本屋にない本を入れたら、もう何でもかんでも紹介したい! 読んで欲しい! ハチミツとクローバーもいいし、ARIAもいいし、ヨコハマ買出し紀行もいいし、はちみつの花、花の名前、麗しの番長様、もうね、話したい。
 でもね、友達と話すと、負けるんです……。だってわたしの読書量なんてほんとちょびっとなんだもの。売れれば売れるほど、月に小説50冊とか平気で読んじゃうらしい……わたしにはまだ二日で一冊が精一杯……漫画も大分遅い……。でも買うのは月に数万円分だけども。今日も本棚が精一杯がんばってます、ていうか、置く場所がない……。これじゃ友達も呼べないわって感じなのに、これでも読み足りない。もっともっともっと! 本は心の潤いです。楽しみは人生の喜び。
 作家様が作ってくれた楽しみを存分に味わおう!
 ボクと握手!

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村上春樹様といったら……。

村上春樹様のデビュー作はこちら
敬愛する村上春樹様のデビュー作!
「風の歌を聴け」です。
 この作品は、このあと「1972年のピンボール」「羊を巡る冒険(上・下)」に続きます。
 さらに「ダンス・ダンス・ダンス」へと物語は続いていくのですが、まさに村上節といいますか、これぞ、って思える作品は「羊を巡る冒険」です。ライトノベルともいえるような小説で、この物語は「失っていく物語」だ、と文学の先生はおっしゃっていました。
 普通は「何かを得ていく」のが普通の物語。結果的に得るということが物語りの定番なのですが、その逆の話。
 わたしはこの作品で何度も泣きました。主人公「僕」に感動します。
 是非読んでいただきたい作品です。書店では黄色い背表紙で売ってます〜。

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まずはお勧めライトノベル「とらドラ!」

とらドラ!
 そういう訳で試験的に張ってみます。
 第一弾は、今読んでる「とらドラ!」です。
 電撃文庫といえば、それはもー名作が多いのですが、一番軽く読めて一番楽しい本だと思います。軽く読めますが、やっぱりすごい本です。
 電撃文庫というと、設定が綿密だったり、重厚だったりするのですが、この作品は設定は日常ですし、いわゆる漫画離れしてしまった人でも手軽に読めます。一般受けも万事おーけーな本だと思う。
 見た目が怖いだけで悪者扱いされる小心で気のいい主人公と、見た目は可憐、でも中身はトラ! っていう少女のラブコメです。
 ……えらい大雑把な説明だなあ……でもまあ、そんな感じです。いいお話です。笑えます、泣けます。感動します。でも楽に読めます。読み始めるとき「さあ読むぞ!」って心構えしなくても入り込める作品です。
 ので、とりあえずライトノベル……っていう人にお勧めです。

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あーまーぞ〜ん!(仮面ライダーアマゾンの掛け声)


 そういうわけでアマゾンにアフィリエイトしてみる。
 お勧めを張っていく前にとりあえずサーチボックスを……。
 しかし、ブログなせいでプラグインで表に張れない……。
 うーん、とりあえず宣伝版に〜。

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