昨晩も荒れた。
たいしたことじゃないのだけど、買い物の帰りに寄ったスロット屋で、台の故障からか、当たりなのに当たりが発動せず、店員にその旨を告げたら、半笑いで保証とかできないですと言われ、食い下がったのだけど、それじゃあもう一度同じ風になったら保証しますと言われ、そんなの、当たりをもう一度引くまで粘れというのか、ということで、馬鹿らしくなってすぐ帰った。
結局、負けでお金が減ったのだけど、それはいいのだけど、店員の態度とか対応とかが許せなかった。ベットボタンが接触不良だったりして、台が古いとか色々言われたのだけど、結局、何にもできなかった。放火しようかと思った。帰りに店の看板にローキックして帰った。同行していた父には申し訳ないばかりだった。
昔からではないけど、わたしは、何か損をしたら、それに見合うだけのことがないと、精神的に落ち着かない。元をとらないと許せないのだ。
だから、その日は、いとーよーかどーに言って冬服セールで今更洋服を買ったのだけど、それだけでは満足できず、小説に打ち込んだ。
今月の締め切りはまだまだ先だけど、色々あってやる気も出てたし、がんばった。それで朝までに原型を書きあがったので、とても嬉しかった。
メッセで友達と会話しながら仕事をして、それで今度、合宿に行って、わたしが格闘技(立ち技・空手拳法系)を教えるから、夜は小説を教えてよ、ということで、今度合宿でもしようという話になった。
色々と、憎み憎まれ、利用し利用されの関係というのが、腹黒いけど業界にはあって、そういうしがらみは多くて、とても気持ちが悪いのだけど、良好な関係が築けていると思うし、まだ崖ップチということもないからがんばれると思った。
コードギアスを見た。すごいと思った。正月に、無料配信があって、それで見たのだけど、本当にすごい。大河内さんという脚本家は本当にすごい。黒田さんという人もすごいけど、本当にすごいと思った。なんかすごいすごいって、文章書きの一人としてなんとも表現に救いがないのだけど、本当にすごい、としか言えなかった。
脚本の仕事は回ってきていて、その企画書やプロットの骨組みを渡され、この設定で(スポンサーとかの兼ね合いなどがあらかじめ決まっている)、脚本と小説を書くための詳細な話を作ってくれ、というのだけど、正直、あんなすごい脚本を見せ付けられた後だと、自分では何もできなくなってしまった。やはり深夜枠の連続ドラマと、大手のテレビアニメ、予算が違うんだなあ、と思った。そうでなければわたしなんかに声はかからないだろう……。
そう思うと、なんだか自分の人生、毎日を無駄にしているようで、それは、子供のとき、どういうことを感じて、考えてきたのかとか、そういう小さいことの積み重ねの集合体とか、生まれ持っての感性、頭脳、その他もろもろ、もうすでに手遅れなんだなあ、とわたしは思ったから、昔から「おかしい」と言われてる頭を使って、全力投球で、変な話(でしかもエロ)を友達に語った。
友達は最大手の小説家で売り出し中の人だけど、その人がかなわない、別の星の人みたいだ、と言ってくれた。
……とりあえず喜んでおこう……。
今日、リンクを色々回ってみた。先日、初めてブログのリンクをしてもらえたというのがあって、書き込みとかって昔禁止されて、それを今でも守っていたのだけど、別に小説を書くわけでもないし、いいかなとか思って、コメントを書いてみようかな、と思った――けど、なんか、場違いなような気がして、こないだはついというか、どうしても一言言いたかったから書いたけど、やっぱり気が引けてしまう。
こんなブログだけど、文章はへぼへぼだし、それは息抜きや精神安定のためにとにかく文章を打ち込むという行為を優先して、頭を全く使わないから(だと信じたい)なのだけど、それでも、素敵な文章を書く人は多く、お金をもらっていて、一応プロだけど、だけど、そんなカテゴリなんて関係ないくらい素敵な文章を書いている人が多くて、しかも知識とか品性とか、なんかわたしなんか出る幕ないじゃない、って思えて、結局止めた。
小説を書くにあたり、最初に、人に見せることから始める。恥ずかしさが快感に変わる上に、人に見られるという抵抗感というのが、自身の文章に対する姿勢を正しくさせるから。
……でも、結局、こうやってただただ、起承転結もない文章も書き散らしているわけなのですが、本当は、小説的に、こういうテーマで、こういうメッセージで、ここを見せ場で、そのためにこういう構成で……と、考えて、それから導入部の掴みをどうするかとか、考えるのだけど……。
そういうのを略しちゃってるからだめなんだなあ、とか思って、反省する。
別に有名だったりすごいアクセス数のブログを目指しているわけではないのだけど、なんとなく、情けない気持ちになった。今。
なんだか悲しくなったので幸福だったことを。
なんてことはない夢の話。
夢で、好きな人……というか、自分を好きでいてくれる人が何人かいて、それでとても好意的にわたしに接してくれる。ちょっとエッチなくらいに。欲求不満なのかなあ、とも思うのだけど、人と接する時、相手に嫌われないように「そういう仕草」を意図的にしているわたしには、それでいて、接することに精一杯で頭がもう限界のわたしには、素直に好意を伝えることができず、相手の好意を素直に受け取ることもできない。
夢の中のわたしは、とても素直で、なんの意図もなく、相手とじゃれあっていて、相手が自分を好きなんだ、ということが素直に受け取れて、恥ずかしい話、異性から好意を受けたことがないわけではないのだけど、人生にいつも追い詰められてるような精神のわたしは、そういうことに気付けず、むげにしてきてしまっていて、だから、なんだか、夢の中で、別の意味での夢のような風景が広がっていることが、涙がでるくらい嬉しくて、それがただただ幸せでした。
多分、現実にそうなるような努力をしなければならないのだと思う。でも、わたしの目というのは、武田信虎(武田信玄の父)のように、相手の欠点を見つけては、常に苛立ち、相手を自分基準以上のものを求め、そうして理想を押し付け、相手に絶望して、そして相手からも嫌われて、そして息子にすら、国から追われる、ということになるようなもので、だから、多分、見た夢のようなことは、現実では永遠にこないのだろうと思う。
だからせめて、自分の書く小説の中では、人が人を愛し愛される、幸せなあものにしたいと思った。
でもねー、小説って、ライトノベルを書くのだけど、幸せな話とか、いい話って売れないのよね……。若い子って、ハードだったりクールだったりするのが良いらしくて……。わたしの書くような温い話じゃ採用されないのよね……。一度、すごい鬱の話を書いたら、まぐれ当たりしたことあったけど、だけどねえ、幸せな話を書きたい……せめて想像の中では幸せに……。
――で、結局、夢の中で感じた幸せは手に入らない、と諦めているということがもう自分で決め付けちゃっていて、もちろん、幸せになるための行動をとればいいだけなんだけど、わたしという人が変わらない限りはダメで。
多分、わたしが普通に就職したり、それとも大学時代の恋人と別れなければ、きっと、わたしは愛すことと愛されることに人生を注いで、それは多分、苦難もあるだろうけど、絶対的に幸せな人生なのだろうな、と思っている。
人間の多くは、多分、お金が稼げて、生活が安定して、それで好きな人と一緒にいて……とマズローの五段階欲求説のような感じで、幸せを手にしていくのだろうけど、それは単純にとても幸せなのだろうけど、わたしは、ただ小説で成功する、っていう一つの夢を手にするためだけに、ほとんどすべてのものを捧げて、投げ捨ててきた。多分、こんなわたしと一緒にいる人は、とても苦労させてしまうし、水商売に近い業界と、自分の安定型ではない能力では、幸せな生活を与えることができないから、だからわたしは一人で生きていこうと思う。でもそれは、大雑把な精神的な意味での孤独で、実際は人とのしがらみががんじがらめで、大変だから、一人じゃないといえば一人じゃないのだけど、友達や身内ですら、背中を見せたら殺される、という世界で、うまく立ち回っていかなきゃいけなくて、そういう覚悟を決めさせられたから、だから、あんな夢をみたんだろうと思った。
後悔はしていない。ただ、人と夢の持ち方が違って、生き方が違っただけだ。違えば違うほどに、創作能力で独創性が生まれるから有利になる。わたしのアイデアはわたしにしかできない、それが理想なのだ。良くも悪くも。
最後に。色々な鬱関連のリンクを回って見て思ったこと。
とてもおこがましいし、わたしには繊細な気持ちなど到底理解できないくらい馬鹿だってわかってる。
でも。
あなたの周りの幸せに気付いて欲しい。
すごい出来る人は、なんだそんなちっぽけなことで、と笑うかもしれない。何もやってないくせに、と憤るかもしれない。
でも。
そこにあるのは小さいけど、確実に「幸せ」なのだ。
両親がいることでも、友達がいることでも、三食ご飯が食べられることでも、夜、静かに安心して眠れることでも、好きな本が読めることでも、好きなゲームができることでも、何か好きなことがあって、そしてそれができること。
それがいかに幸せなことか。
……と自分に言い聞かせてみる。
でもねー、でもねー、そういうことを幸せ、って感じられなくなるのが鬱でねー、わかってるのよ、幸せなことも、幸せじゃないなあ、って思っちゃうのって。だからこそ辛いんだけど、でも、夢の話のように、本当に手に入らないことでも、ただ夢で見れたから、ってだけで幸せ感を覚えるのも事実で。
結局、何が言いたいのかわかんなくなってきちゃったけど、幸せは、そこにあると思う。問題はそれが幸せだと感じられない精神状況にあって。
わたしはもう三十路前だけど、この歳になると、幼い頃から夢のためにがんばってきた人が、夢敗れる時期で、普通に就職した人が人生はこれでいいのかと悩む時期でもあって。人生の転換期なのだけど、それでも戦い続ける人もいて、それがいつかダメになるものだと思っても、精神を患っても、それでも立ち向かう人もいて。そうしてそうであることも、そうでないことも、それはどちらが幸せかなんて、誰にも言えなくて。そんなことは神様にだって言えないことで。結局、こうしろこうした方がいいなんていうのは自分が決めることで。わたしも鬱克服のためにはこうしたらいいかもしれない、ということを言うけれど、でも、本当に幸福感を感じられるのなら、それが一番いいことなのだと思う。麻薬とかだめだけど。それはだめだけど。リタリンとか、かろうじで薬になってるのはいいのかもしれないけど。
それで結局、話はゆらゆらとあちことをさ迷って、何が言いたいのかがわからない。これは多分、鬱に対して自分がこうだなんて意見がないからだと思う。
だから神様にお参りするときは、いつも願う。
「みんなが幸せでありますように」
そうするとね! スロットとかで友達は勝つけど、わたしは負ける、とかが連発するんだけどね! でもまあ、それはおいておいて、幸せ。案外すぐ傍にあるかもですよ、ってことでした。
……なんて、なんかすごい着地点だけど、まあ、気にしないでください……。
たいしたことじゃないのだけど、買い物の帰りに寄ったスロット屋で、台の故障からか、当たりなのに当たりが発動せず、店員にその旨を告げたら、半笑いで保証とかできないですと言われ、食い下がったのだけど、それじゃあもう一度同じ風になったら保証しますと言われ、そんなの、当たりをもう一度引くまで粘れというのか、ということで、馬鹿らしくなってすぐ帰った。
結局、負けでお金が減ったのだけど、それはいいのだけど、店員の態度とか対応とかが許せなかった。ベットボタンが接触不良だったりして、台が古いとか色々言われたのだけど、結局、何にもできなかった。放火しようかと思った。帰りに店の看板にローキックして帰った。同行していた父には申し訳ないばかりだった。
昔からではないけど、わたしは、何か損をしたら、それに見合うだけのことがないと、精神的に落ち着かない。元をとらないと許せないのだ。
だから、その日は、いとーよーかどーに言って冬服セールで今更洋服を買ったのだけど、それだけでは満足できず、小説に打ち込んだ。
今月の締め切りはまだまだ先だけど、色々あってやる気も出てたし、がんばった。それで朝までに原型を書きあがったので、とても嬉しかった。
メッセで友達と会話しながら仕事をして、それで今度、合宿に行って、わたしが格闘技(立ち技・空手拳法系)を教えるから、夜は小説を教えてよ、ということで、今度合宿でもしようという話になった。
色々と、憎み憎まれ、利用し利用されの関係というのが、腹黒いけど業界にはあって、そういうしがらみは多くて、とても気持ちが悪いのだけど、良好な関係が築けていると思うし、まだ崖ップチということもないからがんばれると思った。
コードギアスを見た。すごいと思った。正月に、無料配信があって、それで見たのだけど、本当にすごい。大河内さんという脚本家は本当にすごい。黒田さんという人もすごいけど、本当にすごいと思った。なんかすごいすごいって、文章書きの一人としてなんとも表現に救いがないのだけど、本当にすごい、としか言えなかった。
脚本の仕事は回ってきていて、その企画書やプロットの骨組みを渡され、この設定で(スポンサーとかの兼ね合いなどがあらかじめ決まっている)、脚本と小説を書くための詳細な話を作ってくれ、というのだけど、正直、あんなすごい脚本を見せ付けられた後だと、自分では何もできなくなってしまった。やはり深夜枠の連続ドラマと、大手のテレビアニメ、予算が違うんだなあ、と思った。そうでなければわたしなんかに声はかからないだろう……。
そう思うと、なんだか自分の人生、毎日を無駄にしているようで、それは、子供のとき、どういうことを感じて、考えてきたのかとか、そういう小さいことの積み重ねの集合体とか、生まれ持っての感性、頭脳、その他もろもろ、もうすでに手遅れなんだなあ、とわたしは思ったから、昔から「おかしい」と言われてる頭を使って、全力投球で、変な話(でしかもエロ)を友達に語った。
友達は最大手の小説家で売り出し中の人だけど、その人がかなわない、別の星の人みたいだ、と言ってくれた。
……とりあえず喜んでおこう……。
今日、リンクを色々回ってみた。先日、初めてブログのリンクをしてもらえたというのがあって、書き込みとかって昔禁止されて、それを今でも守っていたのだけど、別に小説を書くわけでもないし、いいかなとか思って、コメントを書いてみようかな、と思った――けど、なんか、場違いなような気がして、こないだはついというか、どうしても一言言いたかったから書いたけど、やっぱり気が引けてしまう。
こんなブログだけど、文章はへぼへぼだし、それは息抜きや精神安定のためにとにかく文章を打ち込むという行為を優先して、頭を全く使わないから(だと信じたい)なのだけど、それでも、素敵な文章を書く人は多く、お金をもらっていて、一応プロだけど、だけど、そんなカテゴリなんて関係ないくらい素敵な文章を書いている人が多くて、しかも知識とか品性とか、なんかわたしなんか出る幕ないじゃない、って思えて、結局止めた。
小説を書くにあたり、最初に、人に見せることから始める。恥ずかしさが快感に変わる上に、人に見られるという抵抗感というのが、自身の文章に対する姿勢を正しくさせるから。
……でも、結局、こうやってただただ、起承転結もない文章も書き散らしているわけなのですが、本当は、小説的に、こういうテーマで、こういうメッセージで、ここを見せ場で、そのためにこういう構成で……と、考えて、それから導入部の掴みをどうするかとか、考えるのだけど……。
そういうのを略しちゃってるからだめなんだなあ、とか思って、反省する。
別に有名だったりすごいアクセス数のブログを目指しているわけではないのだけど、なんとなく、情けない気持ちになった。今。
なんだか悲しくなったので幸福だったことを。
なんてことはない夢の話。
夢で、好きな人……というか、自分を好きでいてくれる人が何人かいて、それでとても好意的にわたしに接してくれる。ちょっとエッチなくらいに。欲求不満なのかなあ、とも思うのだけど、人と接する時、相手に嫌われないように「そういう仕草」を意図的にしているわたしには、それでいて、接することに精一杯で頭がもう限界のわたしには、素直に好意を伝えることができず、相手の好意を素直に受け取ることもできない。
夢の中のわたしは、とても素直で、なんの意図もなく、相手とじゃれあっていて、相手が自分を好きなんだ、ということが素直に受け取れて、恥ずかしい話、異性から好意を受けたことがないわけではないのだけど、人生にいつも追い詰められてるような精神のわたしは、そういうことに気付けず、むげにしてきてしまっていて、だから、なんだか、夢の中で、別の意味での夢のような風景が広がっていることが、涙がでるくらい嬉しくて、それがただただ幸せでした。
多分、現実にそうなるような努力をしなければならないのだと思う。でも、わたしの目というのは、武田信虎(武田信玄の父)のように、相手の欠点を見つけては、常に苛立ち、相手を自分基準以上のものを求め、そうして理想を押し付け、相手に絶望して、そして相手からも嫌われて、そして息子にすら、国から追われる、ということになるようなもので、だから、多分、見た夢のようなことは、現実では永遠にこないのだろうと思う。
だからせめて、自分の書く小説の中では、人が人を愛し愛される、幸せなあものにしたいと思った。
でもねー、小説って、ライトノベルを書くのだけど、幸せな話とか、いい話って売れないのよね……。若い子って、ハードだったりクールだったりするのが良いらしくて……。わたしの書くような温い話じゃ採用されないのよね……。一度、すごい鬱の話を書いたら、まぐれ当たりしたことあったけど、だけどねえ、幸せな話を書きたい……せめて想像の中では幸せに……。
――で、結局、夢の中で感じた幸せは手に入らない、と諦めているということがもう自分で決め付けちゃっていて、もちろん、幸せになるための行動をとればいいだけなんだけど、わたしという人が変わらない限りはダメで。
多分、わたしが普通に就職したり、それとも大学時代の恋人と別れなければ、きっと、わたしは愛すことと愛されることに人生を注いで、それは多分、苦難もあるだろうけど、絶対的に幸せな人生なのだろうな、と思っている。
人間の多くは、多分、お金が稼げて、生活が安定して、それで好きな人と一緒にいて……とマズローの五段階欲求説のような感じで、幸せを手にしていくのだろうけど、それは単純にとても幸せなのだろうけど、わたしは、ただ小説で成功する、っていう一つの夢を手にするためだけに、ほとんどすべてのものを捧げて、投げ捨ててきた。多分、こんなわたしと一緒にいる人は、とても苦労させてしまうし、水商売に近い業界と、自分の安定型ではない能力では、幸せな生活を与えることができないから、だからわたしは一人で生きていこうと思う。でもそれは、大雑把な精神的な意味での孤独で、実際は人とのしがらみががんじがらめで、大変だから、一人じゃないといえば一人じゃないのだけど、友達や身内ですら、背中を見せたら殺される、という世界で、うまく立ち回っていかなきゃいけなくて、そういう覚悟を決めさせられたから、だから、あんな夢をみたんだろうと思った。
後悔はしていない。ただ、人と夢の持ち方が違って、生き方が違っただけだ。違えば違うほどに、創作能力で独創性が生まれるから有利になる。わたしのアイデアはわたしにしかできない、それが理想なのだ。良くも悪くも。
最後に。色々な鬱関連のリンクを回って見て思ったこと。
とてもおこがましいし、わたしには繊細な気持ちなど到底理解できないくらい馬鹿だってわかってる。
でも。
あなたの周りの幸せに気付いて欲しい。
すごい出来る人は、なんだそんなちっぽけなことで、と笑うかもしれない。何もやってないくせに、と憤るかもしれない。
でも。
そこにあるのは小さいけど、確実に「幸せ」なのだ。
両親がいることでも、友達がいることでも、三食ご飯が食べられることでも、夜、静かに安心して眠れることでも、好きな本が読めることでも、好きなゲームができることでも、何か好きなことがあって、そしてそれができること。
それがいかに幸せなことか。
……と自分に言い聞かせてみる。
でもねー、でもねー、そういうことを幸せ、って感じられなくなるのが鬱でねー、わかってるのよ、幸せなことも、幸せじゃないなあ、って思っちゃうのって。だからこそ辛いんだけど、でも、夢の話のように、本当に手に入らないことでも、ただ夢で見れたから、ってだけで幸せ感を覚えるのも事実で。
結局、何が言いたいのかわかんなくなってきちゃったけど、幸せは、そこにあると思う。問題はそれが幸せだと感じられない精神状況にあって。
わたしはもう三十路前だけど、この歳になると、幼い頃から夢のためにがんばってきた人が、夢敗れる時期で、普通に就職した人が人生はこれでいいのかと悩む時期でもあって。人生の転換期なのだけど、それでも戦い続ける人もいて、それがいつかダメになるものだと思っても、精神を患っても、それでも立ち向かう人もいて。そうしてそうであることも、そうでないことも、それはどちらが幸せかなんて、誰にも言えなくて。そんなことは神様にだって言えないことで。結局、こうしろこうした方がいいなんていうのは自分が決めることで。わたしも鬱克服のためにはこうしたらいいかもしれない、ということを言うけれど、でも、本当に幸福感を感じられるのなら、それが一番いいことなのだと思う。麻薬とかだめだけど。それはだめだけど。リタリンとか、かろうじで薬になってるのはいいのかもしれないけど。
それで結局、話はゆらゆらとあちことをさ迷って、何が言いたいのかがわからない。これは多分、鬱に対して自分がこうだなんて意見がないからだと思う。
だから神様にお参りするときは、いつも願う。
「みんなが幸せでありますように」
そうするとね! スロットとかで友達は勝つけど、わたしは負ける、とかが連発するんだけどね! でもまあ、それはおいておいて、幸せ。案外すぐ傍にあるかもですよ、ってことでした。
……なんて、なんかすごい着地点だけど、まあ、気にしないでください……。







