まひるのそら〜ラミルカ奮闘編〜

ノートの端っこみたいな感じ。今日からPSU日記に!

久々の鬱に郷愁の念。

 ふと、早い時間に眠くなって寝たら、変な時間に目が覚めてしまい、そうしたら鬱で、動けなくなった。
 最近、特に冷え込むようになってからというもの、夜は冷えて眠りが浅く、昼になってようやく暖かくなって、そのままだらだらと眠りつづけて、夕方から夜半になってから起きて、ゲームやったり原稿をやったりしてごまかしながら動きはじめていて、鬱かなあ、と思っていたのですが、今日になって急にきました、鬱。
 先日、文学賞と新人賞の両方で落選して、それも力不足だから仕方ないと割り切って、反省個所を上げていって次回に向けてない頭を使っていたのですが、体力を温存していたから前向きでいれたものの、鬱の到来で弱くなってしまった今になって、ものすごい後悔とか絶望感とかが押し寄せてきて、しんどいです。さらに忘年会の幹事やらなにやら、ご無沙汰している先生方への配慮とか、そういうことで頭を悩ませていて、悩んでも仕方ないことなのだけど、とてもそういう細かいことが負担に思えてしまい、一度、そういう風に思ってしまうと、どうしようもなくなって、ああこれは典型的な鬱だなあ、と思い、原稿でも書こうかと思うのですが、そんなテンションにもなれず、かといって本を読もうかと思っても負担にしか思えず、PSUでもやろうか、と思っても面倒でしかなく、かといって眠れるわけでもなく、どうしたらいいんだろう、と思ってまた悩む。K−1で好きな選手が優勝できなかったことや、納得のいかない試合があったりして、それでまた何故か心が重くなる。
 心、なんて難しいものを、気軽に今まで使いたくなくて、使わずにきたのだけれど、心というものがとても脆くなっていると思う。
 鬱になるとどうしてかすべてが負担に思えてきて、さらに負担を増やしてしまうように頭が動くということを知っているから、だからここは無心になることにする。何も考えないようにする。そうして波が去るのをひたすらに待つ。ここでどれだけじっと無心でいられるかがポイントで、良い感動すら絶対にしないよう、心のエネルギーを絶対に使わないように、慎重に、慎重に、ただひたすらにじっとして、それで回復するのを待つ。
 余談だけど、鬱の思考回路から逃れられず、症状を重くする人というのは、どこかしら、休む、ということができない人だと思う。
 休ませないようにさせる、というのも鬱の手管なので、出来る限りでいいから、じっとしよう。何かしなくてはならない、なんて思考や精神の焦りが生まれるのも、それは鬱の負わせるものだから、そのエネルギーで何かしても大抵うまくいかないのだから、だから休もう。眠らなくてもいい、ただじっと時も忘れてじっとする。
 しなくてはいけないことも、すっぱり諦める。
 ここで躓いたら起き上がるのに時間がかかかるから、だから、うまく歩けるようになるまでは、じっと座るでもなく佇んでおく。
 と言いつつ、文章にもならない言葉を書いていることは、それでも無心になるためのことだから、実は何かやっていたほうがいいのかもしれない。無心でできるような何か。
 気がすむまでやったら、疲れてご飯食べて、横たわって、また起きる。次に起きるときはきっと治ってるとなんとなく思いながら焦らずじっくりじっくり。
 ああ……それにしてもIME辞書はホント使えないなあ……まったく。

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