文化祭シーズンなので母校を訪れました。二日間ありまして、一日目が平日、二日目が休日、という日程だったのですが、その両方に行きました。
平日は、わたしの時代ではありえないくらいのありさまでした。
生徒の作品を一般公開したり、イラストなどの販売、演劇の上演、などがあり、業界関係者や一般の特にこれからの進路として考えるために見に来る人など、様々な人が訪れます。ゲストとしてプロのクリエイターのをお呼びするなども行われるのですが、生徒はコスプレしている、会場でもクラスメートで固まってだべっていて客が来ても反応しない、というありさまで、わたしはなんだかいてはいけないんじゃないかという気分にさえなるくらいの無視っぷりで、接客のせの字もない状態でした。
一日目はそういった様相を呈していたのですが、二日目はきちんとスーツを着て、販売員はしっかりと席にいて、受付もちゃんとしていました。
が、
自分の出身学科のノベルス科については例外で、一日目からもうお客意識はゼロで客がきてもろくに相手もせず、それでもOBですので、ちょっとお客として声をかけてお伺いを立てるなどして、それで案内されたのですが、それもコーヒー片手に飲みながら、という案内で、とても失礼極まりなく、行う、という行事を行わず、まったく違うものを行っているという予想外のこともあり、その日は内外に発表するというプロットと小説の短編集を頂き帰りました。そして、プロットのマナーができていない(少なくとも、一般の出版社や、わたしの働いてるところではとても通用しないお粗末な)もので、統一性がない上、企画書の意味を理解していないような代物で、それでも枚数だけは無駄に多く、しかし、その無駄の存在で非常に読みづらく、しかし内容はとても同人とかそういう意識の下で作られている上に失敗作、というもので、とても新人賞を狙う代物ではないことは明白で、あまりの出来栄えに、わたしの学んだ、そして現在行っている企画書(プロット)作りというのは間違っているの……? と、疑心暗鬼になるくらいのもので、ものすごい衝撃を受けました。
で、二日目。
先日は若干早くついたので、時刻を合わせて向かったところ、もうすでに始まっていて、前日の話では、ディスカッションをやる、ということだったのですが、まず、客席がない。
客がある程度来ても大丈夫なような席を、十席にもみたない、五席以下しか用意しておらず、友人と向かったので、キャパシティオーバー。
途中参加ということで、またそこで説明を受けたのですが、ディスカッションといっても、複数の作品を全員でではなく、いくつかに分けた班でそれぞれ作品について話し合う、というもので、それはまだ、わかるのですが、話し合いの元になるはずのプロットが未完成であり、さらには肝心のラストやクライマックス部分の全部丸ごとのアイデア求む、という状態だったりして、もはやディスカッションすらできる状態ではなく、時々訪れるお客様も、ほとんど生徒に埋め尽くされた教室に入ることはできず、見学すらできず、ただただ、生徒達が、自分達の作品を誉めあったり展開について意見を言うだけで、まるでお客に対する意識がなく、しかしまあ、そこは学院祭でお祭りだから、ということで納めたとしても、そのたたき台となる作品が今度は読者をまるで意識しておらず、そもそもプロットなんていうのはお話の基礎であって、それを編集者が見て、本文を書いていいかどうかなどの判断をするものなのに、プロットでは面白みは伝わらない、とまで言っている始末で、もはや根本的に間違っているというところから、テーマ性、作品の売りどころ、他の作品との差別化、話の中でやりたいこと、やるべきこと、などなど、プロットからでは読み取れず、質問したのですが、すべて曖昧で、○○の作品はこうだからこうする、みたいな発想しかもたず、そもそも何をやるべきか、何をやりたいか、などは、小説については作家自身が考えるものだと思うのだけれど、そこが、全くない。ただあの作品が好きだからあの作品と似たようなことをする――そこまでは売れセンだからいいとして、じゃあその元となる作品との差別化をしなければ、ただのコピーとか劣化作品で終わるので、そこはどうなのか、というと、まるで話が通じなくなる。それから、では、そもそもどこの新人賞を意識して書いたのか、ということを聞いたら、全く考えておらず、伝奇ものだから、電撃か富士見か、などととってつけていい合うさまで、もちろん、そのやり方でマッチすればいいのだけれど、その前提の伝奇ものという認識が全くずれていて、伝奇ものではない。このことについて、わたしの他にもっと偉い作家様で友達の人がその時いたのですが、ものすごく怒っていて、それでも身分を隠してお客として来ているので黙っていたのですが、そのうち枚数の話になり、枚数に収まらない、とか、そこまではいいのですが、じゃあ、短編を番外編で作る、とか、二巻を作る、とか言い出して、もう完全に同人誌を作るつもりか、それとも、一巻を書けば、デビューして二巻が書けるという意識があるのか、どちらかはわかりませんが、とりあえず新人賞に出すらしいことを先に述べていたので、その態度で、友人激怒。プロになっても一作出して、二作、三作とシリーズにするのはとても大変で、売れなければダメだし、そもそも自分の判断で書けるものでもないし、あまりにもプロをなめきっている、とますます怒ってしまったらしく、それでも意見を何か述べられればということで、他の友人が伝奇ものならば、架空の史実をもっと考えるべきだとか、意見を言って、そのあたりで時間がきたので終了になりました。
……で。
結局のところ、四つほどプロットをもらったのですが、わたしの仕事ですら、とても使える代物ではなく、ましてや出版の方で原稿を書いている人にしたら、全部書き直せ、というレベルということで、ディスカッションとか建設的な意見を言う、とか、それ以前の問題で、これがやりたいのだろうな、ということは伝わるのですが、やりたい、だけで、どう楽しませるか、ということはすっぽり抜けていて、読んでいて読みづらく、内容も独りよがりで、とても楽しめるものではなく、それは趣味の問題もあるのでしょうが、複数いる友人達はみなジャンルが違うのですが、誰も楽しめず、しかも読みづらい、という感想で、それでもまだ学生だし、ということですら、話を落ち着けられないくらいのありさまで、わたし達の学生だった頃に比べて、とても酷い状態で放り出されている形で、もう、これはだめだなあ……と、思わされたのでした。
イベント途中の休憩でプロットを変えるということなので、それ以上はもう意味はない、ということで、教務課に行き、聞いたところによると、学院祭はすべて学生主導で、作品についても、やり方についても、すべて先生方のノーチェックで行われた結果らしく、高校生の文化祭の方がまだお客意識もあり、若々しいエネルギーもあり、楽しめる要素もあったな……ということで、プロットの指導をやっているのかとか、生徒の作品が酷すぎるとか、接客について見ているのかとか、とにかく、日々の指導についての質問をぶつけて、他の友人は、本音で、ろくでもない生徒だ、ともらす始末で、ある意味、卒業したわたし達にしてみたら、ある種ためになったところもあるのですが、とても残念にも思えてしまったのでした。
わたしが学生の頃は、一年下の優秀で才能あるクリエイターを恐怖しつつも、尊敬し、負けじとがんばったものなのですが、今の生徒達は、ノリは良いのですが、意見も的はずれであるように思えるし、そもそもディスカッションできるだけの知識がなく、なんのためにやっているか、という意識もなく、いや、多分、自分達が楽しければいい、という意識なのでしょうけれど、それは一般公開している学院祭としてどうなのか? と、考えさせられ、最後に質問コーナーを設置する、というので、誰も客がいないなかで、わたしは、プロになるにはどうしたらいいのか、どういう心構えがいるのか、コツはなにか、意識はなにか、短編集の一作についてかかった時間はどれくらいか、この学院で学べること、学んだことはなにか、などなど、とにかく、プロということ学院について学んだことを再認識するために質問し、しかし誰も、顧客意識、読者意識について語るものはおらず、とにかく自分の作品を作ること、ということに集約され、けれど作品を人に見せること、と、ちゃんとしたこともちらほらと述べていたのですが、見せる人がこれで、見せた結果が今行われたディスカッション未満なものでは――もはや、お互いを誉めあうだけの狭い世界の同人作家の馴れ合い――見せたところでどうにもならない、それ以前に作品を自分の力でしっかりと作り、せめて土台だけでもきっちりと明示し、その上で必要不必要な事柄を積み重ねて、欲をいうなら、売れセン、マーケティングでいうところのニーズとウォンツを踏まえた上で、行っていってほしい……ていうか、この考えでわたし大丈夫だよね? と、自分を疑いたくなるくらいの勘違いぶりで、わたしは友人に尋ねたのですが、やっぱりわたしは間違っていないらしくて、安心しました。一応、わたしも友人もプロなので、現役でまだばりばりやってるので、大丈夫だよねえ、ということで、終幕。
とにかく、色々な作品についての意識はあるようですが、すべて内向きの意識のみで、外に対しての意識がまるでないので、これじゃあ新人賞は厳しいのではないか、と、新人賞作家でもないわたしも感じてしまい、けれど、だから断言もできないので、とりあえず、せめてプロットくらいは、ディスカッションするなら、学院祭でお客様を呼び入れて参加してもらうという前提なら、もっとしっかりやるべきではないか――と、叱責したい気持ちと、もうだめだ、という諦めが入り混じりながら、友人と、自分達の仕事で扱うプロットを見ると安心する……などとふざけあいながら一次会、二次会、三次会、オールナイト、と久々に飲み会をしたりしながら話しまくっていたのでした。
それでとても体力が消耗している!
薬も忘れてしまい、お酒の力で無理やりがんばって過ごして、業界の話をしたりしながら、今後の動向などを確認しあい、とても有意義な一日となったのでした。
今日は――今は朝なのですが、母校の大学の方の文化祭があります。大学は経営、経済、法律、保健とあって、わたしは経営専攻だったのですが、法律経済もできるだけ履修していたので、昨今の情勢についての研究結果を見学したいのですが、そして、顧客意識の高いマーケティングのゼミで、もう一度、初心に戻ってみたかったのですが、体力が切れて、もう寝てしまいそうです。
今突き動かしているのは、最初に語りました、専門の方のノベルス科の生徒達の間違ったノリと若さ――けれど、若々しいアイデアや勢いはまるで作品に投影されていない、だからただの自己尊大意識の塊――についての、これで後輩からの追い上げはないな、仕事はとられないな、という安心感と、そんな安心感を与える若者に対してのくだらない、とさえ思えてしまう不快感です。彼らは多分、何かしらな転機を迎えなければ、いつまでもデビューできることはないでしょう。まぐれ当たりや、コネクションで仕事が廻ってきても、継続的に仕事を続けることはできないでしょう。
とても当たり前のことなんです。少なくとも商業作家としてやっていくことを前提にすれば、顧客が何が好きか、何が売れるのか、どの程度クオリティを上げなければならないのか……。
客観的に作品を見つめること。普通の読者としてみた時、これはいいな、と思えるその目、その気持ち。そういう初心。それを持ちながら作品を作ること。
でも、全くできていない、作品に出ていない、出そうともしていない、自己満足のためのプロットを見て、そしてまた、短編にかける日数の、多さ。十分で書く程度のものに三日以上かけ、四時間で書いたということを誇りに思ってしまう危険さ。そしてそれで精度が高ければいいのですが、全く面白くもないという代物たち。そして、今起こっている危機に全く気づかない生徒。気づかせない先生。
暗に確認のために指摘したことを理解できない生徒、重要な要素を質問しても判断できない生徒……前向きに書くのはすばらしいことですが、自己を過大評価しすぎている上、業界の予備知識がまるで備わっていない状態。先生方もプロ作家や編集者がいるので、指導しているとは思うのですが、これはまずいなあ、もうだめだなあ、と、助ける気持ちさえそぐ、お客に対する不遜な態度の数々。まず、礼儀、マナーがなってない。
……と、繰り返し重複を重ねてしまってますが、とにかく、あー、これはだめだな……と思わされた後輩の実力について、それが、たまたまのもので、実際に仕上げれば、本当にすばらしいものを書くのかもしれませんが、それでもこの態度じゃ編集者はまともに相手にしてくれないだろう、とすぐに思いついてしまうその姿勢。
はあー。
わたしもああならないように、重々気をつけていかねばならないなあ、と、自分勝手なブログを書いていてなんですが、思ってしまうわけでした。
本当に、自分勝手で自分のペースでやっていいのは、こういったフリーのブログくらいで、プロットと短編くらいは……学院祭のためだけに時間を割くというのも新人のうちは辛いだろうけど……せめて形にしてからにしてください、と思うのでした。その旨はもう教務課に伝えました。
とにもかくにも、その企画、その文章がデジタル、出版、演劇、ドラマ、などなど、様々な方面にいくのだとしても、多分、どこでも相手にされないだろう、という現状と、それに対して根本的勘違いを全員こぞってしている状態が、ある意味ショッキングだったので、こんな文章を書きました。
どうか、何かを作る人――自分の作風、自分の持つ才能の究極を目指すのも良いのですが、それは何かを人に伝えるためにあり、伝える人あってこそのものであり、それはいつのどこの人かはわかりませんが、伝える、ということを意識して作ってくださいますように。
お金を稼ぎたいから、とかいう理由でも構いません、動機はなんでもいいんです。でも、世に出すもので、それを作品と認識されたいのなら、どうか人に何かを伝えるための手段であるということをいつまでも忘れないでください、と偉そうに述べて締めくくらせてもらいます。
ふー、真面目に書いてはみたものの、やっぱり最近の若者は……という症候群なのかなあ……それだけ歳をとったってことか〜。でもまあ、自分があの学生の中にいさせられたとしたら、多分、学校辞めてるだろうなあ……どうしてあんな生徒が育っちゃったんだろ……。ううーん。講師の依頼が来るかもしれないけど、これは怖いなあ……。
平日は、わたしの時代ではありえないくらいのありさまでした。
生徒の作品を一般公開したり、イラストなどの販売、演劇の上演、などがあり、業界関係者や一般の特にこれからの進路として考えるために見に来る人など、様々な人が訪れます。ゲストとしてプロのクリエイターのをお呼びするなども行われるのですが、生徒はコスプレしている、会場でもクラスメートで固まってだべっていて客が来ても反応しない、というありさまで、わたしはなんだかいてはいけないんじゃないかという気分にさえなるくらいの無視っぷりで、接客のせの字もない状態でした。
一日目はそういった様相を呈していたのですが、二日目はきちんとスーツを着て、販売員はしっかりと席にいて、受付もちゃんとしていました。
が、
自分の出身学科のノベルス科については例外で、一日目からもうお客意識はゼロで客がきてもろくに相手もせず、それでもOBですので、ちょっとお客として声をかけてお伺いを立てるなどして、それで案内されたのですが、それもコーヒー片手に飲みながら、という案内で、とても失礼極まりなく、行う、という行事を行わず、まったく違うものを行っているという予想外のこともあり、その日は内外に発表するというプロットと小説の短編集を頂き帰りました。そして、プロットのマナーができていない(少なくとも、一般の出版社や、わたしの働いてるところではとても通用しないお粗末な)もので、統一性がない上、企画書の意味を理解していないような代物で、それでも枚数だけは無駄に多く、しかし、その無駄の存在で非常に読みづらく、しかし内容はとても同人とかそういう意識の下で作られている上に失敗作、というもので、とても新人賞を狙う代物ではないことは明白で、あまりの出来栄えに、わたしの学んだ、そして現在行っている企画書(プロット)作りというのは間違っているの……? と、疑心暗鬼になるくらいのもので、ものすごい衝撃を受けました。
で、二日目。
先日は若干早くついたので、時刻を合わせて向かったところ、もうすでに始まっていて、前日の話では、ディスカッションをやる、ということだったのですが、まず、客席がない。
客がある程度来ても大丈夫なような席を、十席にもみたない、五席以下しか用意しておらず、友人と向かったので、キャパシティオーバー。
途中参加ということで、またそこで説明を受けたのですが、ディスカッションといっても、複数の作品を全員でではなく、いくつかに分けた班でそれぞれ作品について話し合う、というもので、それはまだ、わかるのですが、話し合いの元になるはずのプロットが未完成であり、さらには肝心のラストやクライマックス部分の全部丸ごとのアイデア求む、という状態だったりして、もはやディスカッションすらできる状態ではなく、時々訪れるお客様も、ほとんど生徒に埋め尽くされた教室に入ることはできず、見学すらできず、ただただ、生徒達が、自分達の作品を誉めあったり展開について意見を言うだけで、まるでお客に対する意識がなく、しかしまあ、そこは学院祭でお祭りだから、ということで納めたとしても、そのたたき台となる作品が今度は読者をまるで意識しておらず、そもそもプロットなんていうのはお話の基礎であって、それを編集者が見て、本文を書いていいかどうかなどの判断をするものなのに、プロットでは面白みは伝わらない、とまで言っている始末で、もはや根本的に間違っているというところから、テーマ性、作品の売りどころ、他の作品との差別化、話の中でやりたいこと、やるべきこと、などなど、プロットからでは読み取れず、質問したのですが、すべて曖昧で、○○の作品はこうだからこうする、みたいな発想しかもたず、そもそも何をやるべきか、何をやりたいか、などは、小説については作家自身が考えるものだと思うのだけれど、そこが、全くない。ただあの作品が好きだからあの作品と似たようなことをする――そこまでは売れセンだからいいとして、じゃあその元となる作品との差別化をしなければ、ただのコピーとか劣化作品で終わるので、そこはどうなのか、というと、まるで話が通じなくなる。それから、では、そもそもどこの新人賞を意識して書いたのか、ということを聞いたら、全く考えておらず、伝奇ものだから、電撃か富士見か、などととってつけていい合うさまで、もちろん、そのやり方でマッチすればいいのだけれど、その前提の伝奇ものという認識が全くずれていて、伝奇ものではない。このことについて、わたしの他にもっと偉い作家様で友達の人がその時いたのですが、ものすごく怒っていて、それでも身分を隠してお客として来ているので黙っていたのですが、そのうち枚数の話になり、枚数に収まらない、とか、そこまではいいのですが、じゃあ、短編を番外編で作る、とか、二巻を作る、とか言い出して、もう完全に同人誌を作るつもりか、それとも、一巻を書けば、デビューして二巻が書けるという意識があるのか、どちらかはわかりませんが、とりあえず新人賞に出すらしいことを先に述べていたので、その態度で、友人激怒。プロになっても一作出して、二作、三作とシリーズにするのはとても大変で、売れなければダメだし、そもそも自分の判断で書けるものでもないし、あまりにもプロをなめきっている、とますます怒ってしまったらしく、それでも意見を何か述べられればということで、他の友人が伝奇ものならば、架空の史実をもっと考えるべきだとか、意見を言って、そのあたりで時間がきたので終了になりました。
……で。
結局のところ、四つほどプロットをもらったのですが、わたしの仕事ですら、とても使える代物ではなく、ましてや出版の方で原稿を書いている人にしたら、全部書き直せ、というレベルということで、ディスカッションとか建設的な意見を言う、とか、それ以前の問題で、これがやりたいのだろうな、ということは伝わるのですが、やりたい、だけで、どう楽しませるか、ということはすっぽり抜けていて、読んでいて読みづらく、内容も独りよがりで、とても楽しめるものではなく、それは趣味の問題もあるのでしょうが、複数いる友人達はみなジャンルが違うのですが、誰も楽しめず、しかも読みづらい、という感想で、それでもまだ学生だし、ということですら、話を落ち着けられないくらいのありさまで、わたし達の学生だった頃に比べて、とても酷い状態で放り出されている形で、もう、これはだめだなあ……と、思わされたのでした。
イベント途中の休憩でプロットを変えるということなので、それ以上はもう意味はない、ということで、教務課に行き、聞いたところによると、学院祭はすべて学生主導で、作品についても、やり方についても、すべて先生方のノーチェックで行われた結果らしく、高校生の文化祭の方がまだお客意識もあり、若々しいエネルギーもあり、楽しめる要素もあったな……ということで、プロットの指導をやっているのかとか、生徒の作品が酷すぎるとか、接客について見ているのかとか、とにかく、日々の指導についての質問をぶつけて、他の友人は、本音で、ろくでもない生徒だ、ともらす始末で、ある意味、卒業したわたし達にしてみたら、ある種ためになったところもあるのですが、とても残念にも思えてしまったのでした。
わたしが学生の頃は、一年下の優秀で才能あるクリエイターを恐怖しつつも、尊敬し、負けじとがんばったものなのですが、今の生徒達は、ノリは良いのですが、意見も的はずれであるように思えるし、そもそもディスカッションできるだけの知識がなく、なんのためにやっているか、という意識もなく、いや、多分、自分達が楽しければいい、という意識なのでしょうけれど、それは一般公開している学院祭としてどうなのか? と、考えさせられ、最後に質問コーナーを設置する、というので、誰も客がいないなかで、わたしは、プロになるにはどうしたらいいのか、どういう心構えがいるのか、コツはなにか、意識はなにか、短編集の一作についてかかった時間はどれくらいか、この学院で学べること、学んだことはなにか、などなど、とにかく、プロということ学院について学んだことを再認識するために質問し、しかし誰も、顧客意識、読者意識について語るものはおらず、とにかく自分の作品を作ること、ということに集約され、けれど作品を人に見せること、と、ちゃんとしたこともちらほらと述べていたのですが、見せる人がこれで、見せた結果が今行われたディスカッション未満なものでは――もはや、お互いを誉めあうだけの狭い世界の同人作家の馴れ合い――見せたところでどうにもならない、それ以前に作品を自分の力でしっかりと作り、せめて土台だけでもきっちりと明示し、その上で必要不必要な事柄を積み重ねて、欲をいうなら、売れセン、マーケティングでいうところのニーズとウォンツを踏まえた上で、行っていってほしい……ていうか、この考えでわたし大丈夫だよね? と、自分を疑いたくなるくらいの勘違いぶりで、わたしは友人に尋ねたのですが、やっぱりわたしは間違っていないらしくて、安心しました。一応、わたしも友人もプロなので、現役でまだばりばりやってるので、大丈夫だよねえ、ということで、終幕。
とにかく、色々な作品についての意識はあるようですが、すべて内向きの意識のみで、外に対しての意識がまるでないので、これじゃあ新人賞は厳しいのではないか、と、新人賞作家でもないわたしも感じてしまい、けれど、だから断言もできないので、とりあえず、せめてプロットくらいは、ディスカッションするなら、学院祭でお客様を呼び入れて参加してもらうという前提なら、もっとしっかりやるべきではないか――と、叱責したい気持ちと、もうだめだ、という諦めが入り混じりながら、友人と、自分達の仕事で扱うプロットを見ると安心する……などとふざけあいながら一次会、二次会、三次会、オールナイト、と久々に飲み会をしたりしながら話しまくっていたのでした。
それでとても体力が消耗している!
薬も忘れてしまい、お酒の力で無理やりがんばって過ごして、業界の話をしたりしながら、今後の動向などを確認しあい、とても有意義な一日となったのでした。
今日は――今は朝なのですが、母校の大学の方の文化祭があります。大学は経営、経済、法律、保健とあって、わたしは経営専攻だったのですが、法律経済もできるだけ履修していたので、昨今の情勢についての研究結果を見学したいのですが、そして、顧客意識の高いマーケティングのゼミで、もう一度、初心に戻ってみたかったのですが、体力が切れて、もう寝てしまいそうです。
今突き動かしているのは、最初に語りました、専門の方のノベルス科の生徒達の間違ったノリと若さ――けれど、若々しいアイデアや勢いはまるで作品に投影されていない、だからただの自己尊大意識の塊――についての、これで後輩からの追い上げはないな、仕事はとられないな、という安心感と、そんな安心感を与える若者に対してのくだらない、とさえ思えてしまう不快感です。彼らは多分、何かしらな転機を迎えなければ、いつまでもデビューできることはないでしょう。まぐれ当たりや、コネクションで仕事が廻ってきても、継続的に仕事を続けることはできないでしょう。
とても当たり前のことなんです。少なくとも商業作家としてやっていくことを前提にすれば、顧客が何が好きか、何が売れるのか、どの程度クオリティを上げなければならないのか……。
客観的に作品を見つめること。普通の読者としてみた時、これはいいな、と思えるその目、その気持ち。そういう初心。それを持ちながら作品を作ること。
でも、全くできていない、作品に出ていない、出そうともしていない、自己満足のためのプロットを見て、そしてまた、短編にかける日数の、多さ。十分で書く程度のものに三日以上かけ、四時間で書いたということを誇りに思ってしまう危険さ。そしてそれで精度が高ければいいのですが、全く面白くもないという代物たち。そして、今起こっている危機に全く気づかない生徒。気づかせない先生。
暗に確認のために指摘したことを理解できない生徒、重要な要素を質問しても判断できない生徒……前向きに書くのはすばらしいことですが、自己を過大評価しすぎている上、業界の予備知識がまるで備わっていない状態。先生方もプロ作家や編集者がいるので、指導しているとは思うのですが、これはまずいなあ、もうだめだなあ、と、助ける気持ちさえそぐ、お客に対する不遜な態度の数々。まず、礼儀、マナーがなってない。
……と、繰り返し重複を重ねてしまってますが、とにかく、あー、これはだめだな……と思わされた後輩の実力について、それが、たまたまのもので、実際に仕上げれば、本当にすばらしいものを書くのかもしれませんが、それでもこの態度じゃ編集者はまともに相手にしてくれないだろう、とすぐに思いついてしまうその姿勢。
はあー。
わたしもああならないように、重々気をつけていかねばならないなあ、と、自分勝手なブログを書いていてなんですが、思ってしまうわけでした。
本当に、自分勝手で自分のペースでやっていいのは、こういったフリーのブログくらいで、プロットと短編くらいは……学院祭のためだけに時間を割くというのも新人のうちは辛いだろうけど……せめて形にしてからにしてください、と思うのでした。その旨はもう教務課に伝えました。
とにもかくにも、その企画、その文章がデジタル、出版、演劇、ドラマ、などなど、様々な方面にいくのだとしても、多分、どこでも相手にされないだろう、という現状と、それに対して根本的勘違いを全員こぞってしている状態が、ある意味ショッキングだったので、こんな文章を書きました。
どうか、何かを作る人――自分の作風、自分の持つ才能の究極を目指すのも良いのですが、それは何かを人に伝えるためにあり、伝える人あってこそのものであり、それはいつのどこの人かはわかりませんが、伝える、ということを意識して作ってくださいますように。
お金を稼ぎたいから、とかいう理由でも構いません、動機はなんでもいいんです。でも、世に出すもので、それを作品と認識されたいのなら、どうか人に何かを伝えるための手段であるということをいつまでも忘れないでください、と偉そうに述べて締めくくらせてもらいます。
ふー、真面目に書いてはみたものの、やっぱり最近の若者は……という症候群なのかなあ……それだけ歳をとったってことか〜。でもまあ、自分があの学生の中にいさせられたとしたら、多分、学校辞めてるだろうなあ……どうしてあんな生徒が育っちゃったんだろ……。ううーん。講師の依頼が来るかもしれないけど、これは怖いなあ……。
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